私は子供のころから動物が大好きでした。
しかし、団地住まいだったので公には動物を飼えません。
ムツゴロウさんが大好きで犬オタクだった子供のころ。
今でも100種類以上、犬の種類を判別できます。
毎日犬図鑑を読んで、いいなぁとヨダレをたらしていました。
動物図鑑を読んでいて、いきなり鼻血が出たこともあります。
チーターのハンティングの文章を読んでいたら、いきなり鼻血がスタスタっと垂れて!
自分の変態さにびっくりしました♪
目次
- 子供のころの遊び
- 罪悪感を覚えた時 ハムスター編
- 罪悪感を覚えた時 カナヘビ編
- 罪悪感を覚えた時 シマヘビ編
- 1番の友達、犬たち
- トラの後日談
- 猫のドタのお話
- 動物と仲良くする
- 動物と共存する知床
- 日本古来の動物の呼び方、3種類
- 野生動物との共存

1.子供のころの遊び
住宅地と自然が共存する多摩地区で育ちました。
土方歳三の故郷、武州多摩のあたりです。
当時の私にとって、昆虫は好奇心の対象、おもちゃでした。
アリの巣を花火で焼いたり、カミキリの牙で小さな虫をサクっと切ってみたり。
トンボにバッタを食べさせたり、蜘蛛の巣に蝶々をひっかけたり。
3人でする謎のゲームもありました。
まず、じゃんけんをします。
勝った人は毛虫に石を乗せる、次の人はそれを踏む、負けた人は石をひっくり返す!
誰が勝ちなのかわからない謎の遊びです。
バケツに水を張り毛虫をたくさん入れてかきまわし「洗濯機~♪」。
何が楽しかったのでしょう…
蜂みたいな蝶のスズメガという昆虫がいます。
それの羽をもぐと一生懸命飛ぼうとして、ブーンと羽音をたてながら地面を歩きます。
それを「チョロキュー」と呼んで遊んでいました。
なんてことをしていたのでしょう。
今そんな遊びをしている子供を見かけたら、叱ってしまいそうです。
お母さん、これあげるー!と走ってきた私。
ママンはお花でもつんできてくれたのかな?と思ったそうですが。
実際は両手いっぱいに束ねたカマキリだったそうな。
あれはびっくりしたと、今でも言われます。

2.罪悪感を覚えた時 ハムスター編
小さな生き物を、ただのおもちゃだと考えていた子供のころ。
小学校中学年ぐらいから意識が変わってきました。
まず、飼っていたハムスターにエサを与えるのを忘れて餓死させてしまった出来事。
私は両親及び、兄と姉がいました。
誰かが世話をしているだろうと思い忘れていたハムスター。
日曜日にお掃除をしようと思ったら、ガリガリでうずくまって死んでいました。
恐る恐る毛をつまんで引っ張ったら、少し腐敗していたせいか毛がボソっと束で抜けました。
証拠隠滅、すぐに山に埋めに行き、親には「ハムスター、死んじゃったぁ」。
親も「あぁそう」くらいで別に気にしていませんでした。
話はここから。
数日後、やっぱりハムちゃんに悪いことをしたと思いお墓参りに行きました。
しかし、穴が浅かったのと前日大雨が降ったせいで、埋めたハムちゃんは地上に出ていました。
埋めなおさねばとハムちゃんの亡骸を棒でどかそうとしたら。
眼孔(目玉の穴)からゴミムシがスルリと出てきました。
ひょえ~!死とはこういうことだと実感したのが、あの時です。
人を殺してしまった人が数日後に現場を見に行ったら…。
腐敗していたので罪の意識が芽生え自首したという気持ち、すごく分かります。
どの動物も死んだ直後は死の実感がありません。
ただただ悲しく、返事をしないかなと話しかけてみたり。
しかし、時間がたち死後硬直が始まり微生物たちが分解して形が崩れ臭いが出てきた時に、生きていないということを実感します。
親しい人がそうなるのを見たくないから、人間は埋葬したり燃やしたりするのでしょう。
なお、中世ヨーロッパでは死後硬直が始まるまでは死んでいないとされていました。
処刑された女性の遺体を、死後硬直が始まるまでは凌辱したりしていたそうです。
話をもとにもどして、餓死させてしまったハムスターの話。
その出来事を少し美しくして詩に書きました。
よく覚えていないのですが、「ハムスターが死んだ・昨日まで生きていたのに(嘘)死んだ」というような内容です。
子供が死を実感した素晴らしい詩だということで大人たちが評価し、全校朝礼の際に朝礼台の上で読まされました。
いやはや、罪悪感です。

3.罪悪感を覚えた時 カナヘビ編
これも小学校中学年の時、カナヘビを捕まえました。
教室で飼おうとおもい、私が気持ちよいと思うサラサラの砂を敷き詰め、隠れ家の枝を置き、エサになるバッタなどの虫を入れ。
土日をはさんで登校したら、カナヘビはミイラのようにカサカサになり瀕死でした。
彼らが水を飲むということに考えが及ばず、飲み水を用意せず直射日光の窓辺に置いた結果です。
これも慌てて水につけてから、屋外にポイ!
証拠隠滅したものの、今でも鮮明に覚えているぐらいに罪悪感を覚えました。
自称動物が好きでも、私の子供の頃レベルの人は少なくないと思います。
ちゃんと飼おうと思っていたのに、知識がないせいで可哀そうな結果になってしまう。
自分で観察しないで、本やネットに書いてあることを鵜呑みにして失敗してしまう。
こればかりは経験です。
一方的に無知を責め立てるのも、何か違うと思う今日この頃。
そんな失敗を繰り返して、動物との接し方を学んでいくのだと思います。

4.罪悪感を覚えた時 シマヘビ編
これが本当に罪悪感かもしれません。
とても美しいヘビを見つけて飼ってみようと持ち帰りました。
後から知ったのですが、シマヘビは警戒心がとても強い生き物なのだそうです。
私の与えるエサを受け付けず、数日後に餓死しました。
ヘビの美しさに少し魅せられていた小学校中学年の私。
つかまえてこなければ、自然の中にいれば今でも生きていたであろうシマヘビ。
この辺りから、野生は野生のままに。
一時的に捕まえて観察することはあっても、逃がしてあげるようになりました。
私の育った地域は竜ヶ峰と呼ばれています。
連なる山々が竜のようだということで名付けられました。
しかし今は開発が進み、竜はぶつ切りです。
子供のころに遊んでいた山も、建売住宅が建ち並んでいてびっくりしました。
地域の守り神の竜は、今は地下で眠っているのだろうと思うことにしています。

5.一番の友達、犬たち
当時団地住まいで犬が飼えませんでした。
しかし、近所の自営業の人が飼っている犬たちが放課後、遊んでくれました。
当時の犬は、屋外で鎖につなぎっぱなしが当たり前です。
トラ、ムク、モンタの3匹の雑種犬が、私の友達でした。
ムクは敷地から出ない犬なので放し飼いです。
トラとモンタは常につながれていました。
今から思うと劣悪な環境です。
粗末な雨風しのげる程度のベニヤ板の小屋があり、周囲は排泄物だらけで鎖につなぎっぱなしです。
毎放課後、そこに遊びに行っていました。
飼い主さんの信頼を得てからは、お散歩にも連れて行っていました。
私が連れて行かなければ、お散歩には連れて行ってもらえなかったようです。
たまに忙しくて遊びに行けない日々が続くと、飼い主さんから自宅に電話があり「そろそろ散歩に連れて行ってくれないか」と言われました。
私と一緒だと鎖をひっぱらないけれど、他の子に散歩をさせたらグイグイ引っ張って危険だったと聞きました。
それなりに私の事を好きだったのだと思います。
トラはスピッツ系の毛の長い雑種。体色は茶色い秋田犬のような感じです。
モンタは筋肉質のシェパード交じり雑種。全身は茶色く、鼻づらだけが黒い垂れ耳の犬でした。
彼らとは本当に信頼関係を築きました。
私は子供だったので、理不尽に叩いたり蹴ったりしたこともあります。
それでも「なんか分からないけど、怒らないで」と甘えてきました。
今私が動物の言葉が分かるのは、彼らの無償の愛のおかげです。
そんな蜜月は長く続かず。(とはいえ2年ぐらいは続きましたが)
そちらの自営業のお宅が火事を起こしてしまいました。
犬たちは飼い続けられなくなり、どこかに貰われていったと聞いています。
すごい喪失感。死んだわけではないと自分に言い聞かせましたが、とても寂しかったです。

6.トラの後日談
それから私は中学生になり高校生になり、就職をして、10年以上経ったある日。
ヨボヨボの犬が散歩をしていました。
一目でトラだと分かりました。
「ワンちゃん触ってもいいですか?お名前なんていうんですか?」と話しかけたら、見事にトラでした。
当時のように「トーラトラトラトラ♪」と話しかけたら。
トラはハッとした後「クンクルクンクルクーン!」と身をよじって喜びました。
それまでヨボヨボだったのに若犬のようにはしゃぐトラを見て、飼い主さんもビックリ!
事情を説明して、私も飼い主さんもウルウル。
犬はなんでこんなに人間を好きになってくれるのでしょう。
モンタにはその後会えなかったけれど、トラと同じくらい幸せに生きたと信じています。

7.猫のドタのお話
同じころ、猫を飼いました。
母親がペルシャ猫なので、やや長毛のチャトラ猫です。
家に連れてきた直後にドターンと横になりくつろいだので、ドタと名付けました。
これまた、私は子供だったので悪気なくいじめました。
後ろ足を持って前足で歩かせて「猫車~」、など。
嫌がるドタの爪を切ったり、耳掃除をしたり。
嫌がることは全て私がやっていました。
そんなある日、ドタが脱走&行方不明になりました。
それから、放課後は毎日ドタを探しましたが見つかりません。
1週間ほどたち、少しだけ諦めてきました。
ある日曜日、兄に「アイスを買ってこい」と言われお買い物した帰り道。
茂みがガサっといいました。
ドタ?と思いましたが、アイスが溶けてしまうので帰宅。
どうしても気になるので、同じ場所に行って何もない茂みに向かって「ドタ、おいで、私だよ、ドタ、ドタ」と呼んだら。
確信はないまま10分ほど呼び続けたあと、ドタが茂みから走り出てきました!
見知らぬ外の世界、怖い思いをたくさんしたのでしょう。
意を決したように走り出てきたドタ。
私は感激!ドタ!と抱きしめて泣きながら家に帰りました。
家に帰り「ドタ、いた!」と言ったら、母も泣いていました。
「九州男児は涙なんか見せん」という父も泣いていました。
そしてドタも、大粒の涙をポロポロ流していました。
ネコが涙を流し泣いているのは、後にも先にもこの時しか見たことがありません。
動物も感極まると涙が出てしまうのだと思います。
人間と人間以外の動物、何も違いはありません。
感じることは同じだと思って、間違いないと思います。

8.動物と仲良くする
当たり前のように、私は昆虫から哺乳類まで、人間以外の生物が身近にいる中で育ってきました。
彼らは敵でも味方でもありません。
一緒に暮らす仲間です。
良いこともあれば、面倒くさいこともある。
でも、お互いの知恵で共存できると思います。
イギリス人が北米(新大陸:アメリカ)に行った際。
先住民のインディアンは熊やピューマなどの野生動物に攻撃されないのに、白人は攻撃をされる。
先住民は動物を操る魔術師か?と恐れられました。いいえ、違います。
銃などの武器を持ち歩いていると、何かの際にとっさに攻撃をしようとします。
それを感じた動物は、反撃します。
お互いに武器がなく力が拮抗していれば、よほど飢えている時でなければ「お互い悪意はないので、そのまますれ違いましょう」と話が通じます。
悪意をぶつければ、相手はそれに対抗してきます。
それは人間社会でも同じです。
人や動物に自分のルールを押し付けようとすると、ぶつかってしまいます。
あなたの普通や常識は、相手にとっては意味の分からないことかもしれません。
逆になんでもありさ~と受け入れると、ほとんどの人が良い人です。
正義の逆は悪、ではなく別の正義。
絶対的なものではなく、こちらの気持ちの持ちようです。

9.動物と共存する知床
北海道の知床半島。
漁師さんのほんの1mぐらいまで、ヒグマが近づいてきます。
ヒグマと共存する社会として、世界遺産に認定されています。
しかし、熊のプーさんみたいな平和な社会が繰り広げられているわけではなく。
数年前に知床のヒグマ社会で飢饉があり、全ての熊がガリガリになりました。
2023年の、猛暑からどんぐりなどの果物が実らなくなった状況と同じです。
エサを取れずガリガリになったヒグマたちが、漁師さんたちの獲物を狙いにきます。
それを気合と気迫で追い払う漁師さんたち。
「コラー!あっちいけー!何してんだー!」
これも、誰でもできるわけではなく、対等に追い払う事ができるのは知床の漁師さんだけです。
あれ、可愛そう♪と、エサを与えれば解決ではなく。
凶暴だからと駆除すれば良いわけでもなく。
境界線を決めて、そこから先に出てきた奴らに対しては「オラー!」とする。
みなさまも他人事ではなく、熊相手にオラついてみてください。
私の知人の150㎝ぐらいの女性は、山に入ってもツキノワグマぐらいなら負けないと豪語しています。
「こら!熊!」と気迫で追い払える自信があるそうです。

10.日本古来の動物の呼び方、3種類
まず、牛馬は家畜。人間と共に生活する仲間です。
昔は土間に農作業用の牛・馬の住居があり、人間と一つ屋根の下で暮らしていました。
次に、狐狸。これは里山と言われる人間と山の境界に住まう身近な野生動物たちです。
よく姿を見かけるし、ときに人を騙すなどとも言われています。
最後に、鳥獣。これは山に生きる動物。基本的には人間と関わりあいません。
日本には狐狸が住む里山という、境界地帯がありました。
鳥獣はここより里には来ない、人間はここより山には基本行かない。
なぜ現在の日本で、里山が機能しないのでしょう。
答えは犬です。
当たり前のように当時の農村では犬が放し飼いでした。
江戸時代に日本に来た外国の人の手記に「どこに行っても犬に吠えられる」と書かれています。
外国の人が犬をPetit(プチ)と呼んだから、またはブチ犬をPatch(パッチ)と呼んだから日本の犬の名前がポチになったなんていう説もあります。
放し飼いだけど誰かからエサをもらって、村の一員の犬たち。
気の良い犬は子供たちと遊び、凶暴な犬は現在同様、排除されたそうです。
侵入者、見慣れぬものには群れを作り吠えたてます。
熊や猿、鹿や猪も、これでは気軽に人間の住む空間に入れません。
現在の日本では「噛まれたら」「排泄物が」「いたずらが」「狂犬病が」など、犬の放し飼いは難しいと思います。
野生動物の農作物の被害は、年間数百億円と言われています。
訓練された犬の放し飼い、一考の余地はあると思います。
現在でも狼が生き延びている地域の牧畜では、牧羊犬がしっかり機能しています。
狼を絶滅させた地域の牧畜には、あまり犬がいません。
敵を排除するのではなく共存するためには、犬の存在が不可欠です。
人類は犬と共に繁栄してきました。

11.野生動物との共存
子供のころに虫や小動物を殺して遊ぶと、エスカレートして人間も殺すようになるという説があります。
はたしてそうでしょうか。
無邪気に虫を殺して遊んでいた現在の私は、ゴキブリや蚊なども極力殺しません。
気付けば日本の蚊に刺されても痒くならない体質になっていました。
さすがに熱帯地方に行く際は蚊が媒介する病気もあるので、きちんと対策をたてようと考えています。
野生動物たちは駆除や保護の対象ではありません。
共に同じ地域で暮らす仲間です。
カラスが増えすぎるのなら、生ごみなどの捨て方を工夫すればよい。
畑を荒らされるのなら、犬を飼えばよい。
自分の邪魔になるから殺す、というのは安易です。
何か工夫を凝らして彼らと共存できる道を模索できないかと思います。
彼らも過酷な野生環境で、生きるのに必死です。
野生動物はみんな、健康でストレスなく見える?
なぜなら健康ではない個体は、すぐに捕食などで死んでしまうからです。
生き延びている個体のほとんどが、若く健康で運の良い個体です。
運が悪く、嫌なことがあっても生きていかなければいけない私たちから見ると、野生動物は幸せそうだなと思う事もありますが。
じゃあ、野生で本当に暮らしたいかと問われれば?
私は嫌です。冷暖房とスーパーマーケットのある暮らし以外はできません。
自然保護や環境保護、動物たちとの共存はまだまだ難しいと思います。
ホモ・サピエンスとは「賢いヒト」という意味です。
縄文時代にできていたことが、現代ではできないというのも不思議な話。
諦めずにみんなで考えていける社会になればと思います。
生き物好きは、みんな友達!
これからも、ネットのコピペではなく自分の実体験をあげていきます。
楽しんでいただければ幸いです。
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